震災の町 ―最果 タヒ
一時期、故郷の話になると必ず、震災の話を振られるのでうんざりしていた。私の過ごした場所は、「震災の町」なんかではないのだが、何年経っても、他人からすればそうなのだなあ、と思うと、あの町に興味がないなら、別に話題にしてくれなくていいのですが、と言いたくなる。何か話題を、と思っての触れ方であるとしたらあまりにも適当だし、当時、震災から15年ぐらいは経っていたのではないかと思う。
人は相手の故郷になんて大して興味がない、と感じる。たとえば出身地について、誰かが「あなたはどこどこの出身ですが、この土地は過去にこんな大きな出来事・文化がありました。これはあなたの作風に影響を与えましたか」みたいな質問をしているのを見ると、私は「無茶苦茶だな」と思ってしまう。「あなたの詩の、崩壊のシーンは、震災の影響がありますか」と聞かれて、「は?」と思ったのを思い出す。住んでいた土地が与えてくれるものはあるだろう、でもそれは、その人にしかわからないものだ。たとえば窓がどの方角を向いていたか、とか、金木犀は毎年どのあたりに咲いたか、とかそういうことが少しずつ、影響を与える。そのことをすべて無視して、大雑把な情報で語られる土地に、私の故郷はない。プロフィールにある出身地だけで私を被災者と見做し、その前提で言葉を求めることに、なぜ?と思う。私が、被災者であると語り出すならともかく、あなたは私を簡略化したいだけではないですか。
などということはその場では言わなかった、私はそのとき初めて、人が自分の故郷にこんなにも無関心なのだと思い知って、頭が真っ白になったから。何年経っても震災の町なのか、何年経っても、いくつもの変化があったはずのあの町は、まだ震災の町でしかないのか。思いもよらない質問に、「震災の影響はないと思いますし、今驚いています」とだけ伝えた。驚いています、の意味を、相手は多分理解していない。
こうした質問は3.11のあと、恐ろしいほど減っていった。私はそのことについて何も語らないけど、非常にむなしい減り方だと思っている。他人の記憶に大雑把に、触れて手放すのはやめて。
最果タヒ(詩人)
(2018年度本と美術の展覧会vol.2
「ことばをながめる、ことばとあるく
——詩と歌のある風景」参加)