命のお返し -平間至
「平間さんにとって、故郷とはなんですか」
以前、地元の新聞の取材を受けた際に、「故郷とは、自分自身」と答えたことを思い出した。
その土地で生まれ育った人間は、その土地に咲く植物にたとえることができると思う。たまたま、その場所に根付いた植物は、自然に成長して芽を出し、茎を伸ばし、葉を広げて花を咲かせ、やがて種を落とす。人も同じように、故郷の光や水、風や土、出会った人などの要素から構成され、出来上がっている。からだも、ものの見方も、すべてが「故郷という種」からのDNAだ。このいただいた命を、どのように故郷に返していくか。自分にとって大切なことは、「命の返し方」である。
人が植物とは異なる点もある。それは成長の過程で、故郷をいったん否定することもある、ということだ。僕の場合は、東京の大学への進学をきっかけに、故郷である宮城県塩竈市を離れた。以来30年以上、東京を拠点に写真家として活動をしているが、故郷と自分との関係性については今もずっと、問いを投げ続けている。
写真家として独立後、初めて出版した写真集『モータードライヴ』(1995年)は、僕にとって、故郷の写真館、父への反抗の象徴だった。写真館で撮る「静」の写真とは違う、カメラも被写体も動く「動」の写真。反抗というのは、人のエネルギーそのものだ。そこで反抗の限りを尽くした僕は、今思えば『モータードライヴ』以降、エネルギー枯渇の状態が続いていたのかもしれない。
そこに再びエネルギーを注いだのは、やはり故郷だった。1999年に開設された生涯学習施設・ふれあいエスプ塩竈での個展から、僕の命のお返しは始まった。その後、塩竈での活動は「塩竈フォトフェスティバル」「GAMA ROCK」に繋がり、その間に3.11東日本大震災の復興支援もあった。そして2020年10月には、1926年に祖父によって始まったひらま写真館で、写真家としての30周年記念写真展を行った。高齢になった父が2003年に写真館を閉じて以来、17年ぶりに扉を開けた。「ここで結婚式の写真を撮った」「七五三の写真を撮った」など、地元の方々に温かい言葉をたくさんいただき、またひとつ、命のお返しができたように思う。
この時の展示は、『モータードライヴ』の作品と、現在運営を行う平間写真館TOKYO(東京・三宿)で撮影した家族写真を選んだ。故郷への反抗だった『モータードライヴ』と、「“動く”家族写真」という、僕なりの自立と再生。長い反抗期を終え、これからは再生を繰り返しながら、故郷への命のお返しを続けていきたい。
平間至(1963年宮城県生まれ、写真家)
(2018年度太田フォトスケッチvol.3「祝」)