太田市美術館・図書館 ART MUSEUM & LIBRARY, OTA
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故郷は記憶に彩られて -KIKI

 2階の寝室にしていた部屋から見えたのは、真っ青な田んぼだった。子どもの足なら10分ほどだろうか、その田んぼの中に、風景を上下二分するように電車の高架が走っていた。そこを走る山陽新幹線に乗って、毎年、夏になるとその町に来ていた。東京駅から4時間くらいだったか、兵庫県に入って姫路駅の次、相生駅というところで降りる。両親とふたりの兄、そして祖父母、時に従兄弟の家族も一緒で、大賑わいの数日を過ごした。

お盆に合わせての帰郷であったが、法要やお墓参りの記憶は全くといっていいほどない。けれど、家の隣だったかすぐ近くにあったお寺のことはよく覚えている。寺の玄関や縁側に面した窓は、昼間いつも開け放たれていて、暑さから、または兄や男ばかりの従兄弟の喧騒から逃れるように、わたしはひとりで勝手に寺にあがりこんでいた。板張りの廊下のひんやりとした感触を思い出す。待ち合いの古いけれど立派な皮張りのソファもやはり冷たく、そこに沈み込むように座って、なぜか置いてあった絵本を読んでいると、お寺のお母さんが冷たい麦茶を出してくれた。

 これがわたしの“故郷”の記憶だ。祖父母が大学生の時に亡くなってから、都内の寺に分骨したこともあって、相生には帰らなくなり20年近くが経つ。記憶を頼りに細々としか思い出せない場所がはたして故郷といえるのか、正直、よくわからない。

 相生のことが懐かしくなり、わたしの父に自分にとっての故郷はどこになるか聞いてみると「那波野(なばの)」という聞き慣れない地名が返ってきた。それは、わたしの記憶にあった家のある町名だった。ようするに、相生市那波野だ。祖父母は仕事の都合で東京に越してきたので、父があの家に住んでいたのは幼少期の数年間。どんな風景が印象に残っているかというと、田んぼのなかを走る山陽本線だという。「茶色の客車か黒の貨物を曳いた蒸気機関車。畦道から敬礼すると、機関手も敬礼を返してくれた」。新幹線ではないとはわかっていたが、まさか機関車が出てくるとは思わなかった。

 久しぶりにあの家の話をしていくうちに、わたしの記憶はつぎつぎに上書きされていった。地名は相生から那波野になり、蒸気機関車を田んぼの畦道から見送る子ども姿の父の隣に、夏のワンピースにサンダル履きのわたし自身も立っている光景が思い浮かぶ。より色鮮やかになった故郷の風景。なぜか電車と踏切好きに育っている1歳の娘にも、いつかこの話をしたいと思った。

 

KIKI (1978年東京都生まれ、モデル・写真家)
(2016年度 太田フォトスケッチvol.1
「まちかどの猫~写真家KIKIさんをむかえて~」
2017年度 太田フォトスケッチvol.2「て・あし・まち」参加)

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